閉会礼拝と聖餐式

 会議の最後は閉会礼拝と聖餐式。オーケストラとコーラスによる讃美。リタージカルなことばを、すべて音楽(アフリカっぽいけど、やっぱりアメリカのミュージカル)にのせて行うもの。まあ、派手。金管が最後は盛り上がってなりまくる、という編成のよう。
 聖書が三箇所読まれたが、それぞれを公式八カ国のことばで語る。英語しかわからないわたしは、英語の式次第を見ながら、各国語で語られることばを聞く。礼拝式の中では、The Cape Town Commitmentの内容をふまえての罪の告白と主への祈りが含まれていた。
 

 
講壇には、十字架がディスプレイされるようになる。そして、4000人が讃美し、礼拝する。
 

 
 説教は、L. Brown。今回の国際ディレクター。今回の世界宣教会議から残ってほしいと思うことが語られる。まず、キリストの独自性と福音の真理。次に、特に問題となる課題がすべての地理的地域に、そして社会の隅々に至るまで取り扱われるように願うこと。そこで、イエスが主であることが明確にあらわされていることが願われている。三つ目に、協力関係が実を結ぶこと。世界福音同盟との協力、そして小グループでの協力。四つ目に、様々な問題へのイニシアティブがとられていくこと。
 そのようななかで、われらの働きはあくまでの独自で、唯一の救い主であるキリスト中心のものであるべきこと、自らの歩みに気をつけ、敬虔と愛のわざに溢れる生き方をすること、そして、殉教や誘惑、遅々とした歩みの中にあっても、われらの働きは無駄にはならないとの信仰に立ち、勇気を失わないことが語られる。
 そう。日本の現実は厳しい。たぶん、これから帰って行っても、大きな変化はすぐには起こらないだろう。しかし、主は生きて働いておられる。主権者として導かれる。世界を、宇宙をそのゴールへと導かれる。われらの今のこの地上での働きは無駄にはならい。壮大な神のビジョンに活かされている神の民として進みたい。
 説教のあと聖餐式。そして、散らされて、遣わされていく。
 語られることばはすばらしいものであり、そこにアフリカの香りがする。ただ、音楽のオーケストレーションがすこし安っぽい「ライオンキング」になってしまったような気がした。このあたりが、やはり西欧のかおりのするキリスト教であることの限界なのか、それとも、これはあえて西欧的にしたのか。西欧的なもの自体が悪であるとは思わない。しかし、このような盛り上げ方はすこしやり過ぎではなかったか、と個人的には思う。もっと、アフリカ的な音楽で、太鼓の音で踊ってもよかったのでは?