午前のセッション

 今日は最後のTable Group Leader Meeting。それぞれ安堵感と感謝の思いを持ちながら、集まる。ちなみに、リーダーには感謝の贈り物があるそうだ(絵、日本に帰ったから額に入れようとは思う)。
 最初のセッションは聖書講解。しかし、それ以上に、様々な話がある。まず、「聖書の貧困」の解消を訴えるメッセージ。教会で、社会で、若者に、国々に、聖書の貧困がある。その解消に取り組もう、というメッセージ。各自が聖書を帰納的に読む、文脈を考えて読む。この世間の常識ではなく、聖書の立つ生き方に則って聖書を生きる、そのために聖書を読む。そんな風になればいいと思う。
 今日の聖書の箇所はエペソ6:10−24。しかし、今回のセッションの冒頭で、エペソ書が最初から、最後まで読まれる。長いけれども、そういうことも必要だ。さて、この箇所は、クリスチャンが霊的戦いに関わっているとうことがメッセージ。そして、神の与えられた「武器」をどのように用いるか。まず、私たちの責任はなにか。われらがイニシアティブをとって、嵐が到来した時、堅く立つ。そして、目に見えない教会は、福音派の教会という枠組み以上に大きいことを知り、血肉ではないものと戦っていくことが大切。そして、祈りのゆえに、助けが来る。次に、武具について。欠くことのできない価値としての真理、正義、平和の福音。これらを人格の中であらわす。欠くことのできない信頼。神への信頼という信仰と手紙にあらわされている救いの計画。最後に欠くことのできないリソース。これがなければ道を進むことはできない。神のことばと霊による、不断の祈り。主の情熱をもって、困難の中でも大胆に語る事ができるように、パウロは二度祈っている。
 主題講演は宣教協力について。D. Ruizは、あらゆる所から、あらゆる所への宣教の重要性。そして、教会の一致が欠如しているから、福音宣教の機会を失う危険性があるとのこと。Segraves夫妻は、宣教団体にとって、教団、教会、男女の協力が不可欠と語る。そして、リーダーシップは謙遜と共にあって本当に意味がある神の賜物である。OMFのP. Fungの講演が一番、印象的。われらがこの地上で関わる宣教は、宇宙大の目的と広がりがある。そして、それは壊れてしまっているこの世界に対する神の愛のケアである。そこには神の力があらわされている。そして、その神の力をわれらは受けて働きをしている。われらが持てるものを持ち出し、そこに存在する多様性をもって共に主の前に踊ることが大切。謙遜と、世界宣教の為の犠牲的な分かち合いが求められている。つぎに、神の贖いがあらわされている。世界は「和解のことば」を聞きたいと願っている。自己に死ぬことが重要であり、世界が求めているのはそのような者によってあらわされる「神の国という名の新しい均衡」である。最後に、神の主権があらわされている。アジアの時代だ、アフリカの時代だ、というだろう。しかし、われらは同じミスを繰り返す可能性がある。西欧の絶対主義が、アジア絶対主義に変わったところで、何が変わるのだろうか。あくまで世界宣教は神の主権的支配の下に進められるものである。われらが宣教の働きを完成するのではない。宣教協力は、友情という名の旅である。一日、二日で生まれるものではなく、友情という関わりが育っていく中で宣教協力が進んでいく。そのことを覚えて進みたい。
 共に一週間を過ごした仲間たちの写真。一人は先に帰って行ったので、五名。パキスタンリトアニア、ロシア、アメリカ、韓国(オーストラリア)、日本。よい交わりが与えられ、これからの関わりが続くことを願う。