午前のプログラム

 さて、会議の第一日目のプログラムが始まりました。
 朝は8時45分から聖書講解。Ajith Fernandoがエペソ書1章。特に強調されていたのは、福音とは、単にわれわれの必要が満たされることではない、ということ。われわれの必要の解決というのが福音のすべてのように言われるが、実はそうではない。宇宙大の広がりをもつ、天地創造の神の計画に目を向ける必要性が強調された。そして、キリストがなされたこの宇宙大の神の計画のすべてを一生懸命に述べることの大切さが語られていた。さらに、われわれが選ばれたということから生まれる責任に生きることの重要性が語られた。
 そのあと、グループで1章のメッセージがどのように適用されるのか、それぞれの場でどのように考えるべきなのか、が語られた。
 11時からは「真理」をテーマにした基調講演。ATAの総会にも来ていた香港のCarver Yuが多元主義について。彼の多元主義の理解には議論があると思うが、最後に、「イエスが真理であるかを証明するのは、われわれが造りかえられた歩みをすることによってである」とまとめられているのは重要だと思う。
 

 
次に、東ドイツのMichale Herbstの講演。イエスこそ「真理が人となって現れた」存在であること。そして、力なき者として、物語を語り、受け入れることを願う、という下からの伝道の重要性と、そのときこそ、このメッセージを聞く人に働く聖霊のわざの重要性が語らえた。グループでのディスカッションのあと、Os Guinessがなぜ真理が大切であるかをメッセージ。

午後のプログラム

 午後は「世俗化され、多元主義が強調されている社会で福音を語ること」についての分科会に出席。二人の欧米の発表者は理論的なところから世俗化と多元主義に対する提言をしていた。内容はいたって古典的なものであった。その一方で、インドやレバノンという多元主義の現場で働いている人々は、全人的な働き(福音を語り、人々の必要に答え、イスラムの人たちと対話をする)を通しての福音宣教の短い証しをしていた。理屈は大切だが、現場での全人的な働きを通して、たとえ遅々としたものであっても、福音宣教は前進するのではないだろうか。
 夕方は、地域別のミーティング。韓国、モンゴル、日本で一つのグループを作っていた。結局は、日本のグループで話し合い。モンゴルの若い教会の人々の力と勢いを感じた。
 

 夜の集会はアジアの教会と苦難がテーマ。讃美と証しと映像によって構成された集会。
 中国からの参加者200名は結局、参加することができなかった。それゆえに、中国の教会のために、いのる一時がもたれた。政府からの迫害は、結局は、自分たちがにせ者であることを証明しているにすぎない。
 インドの人の証し、韓国のworld visionによってつくられたクワイヤーの証しなどがある。特にこころを打たれたのは、北朝鮮から脱北した18歳の女性の証し。彼女の両親と共に7歳の時に脱北。その後、中国に滞在中に両親はクリスチャンとなるも、母が死に、父は北朝鮮へ宣教の為に行き、捕らえられ、牢獄ですごす。しかし、解放され、もう一度中国に逃げてきたが、再度、福音宣教の為に北へ。そして、再度、捕らえられ、その後、6年間、音信は不通。たぶん、銃殺されているだろうということ。そのような中で彼女はクリスチャンとなり、北朝鮮の人の救いのため、自由のために祈っているという証し。みな、感動していた。
 

 
"God is on the move." つまり、神は生きて働いている。このことを覚えさせられる。
 ただ、アジアにおける日本の教会の影も形もなかった。日本の教会はどうするのだろうか。